中学受験|明治時代のまとめ方|プロ家庭教師の動画  



 


     
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明治時代

「明治時代のまとめ方」この動画の所要時間は約三十分です。
  明治時代 解答
不平等条約の問題点
治外法権(領事裁判権)・・・外国人が日本で犯罪を犯したとしても、日本の法律で裁かれない権利。当時の日本はこれを「撤廃」をする必要があった。

関税自主権・・・自分の国の関税を自由に決めることのできる権利。自国の産業を保護するためのもの。当時の日本はこれを「回復」をする必要があった。

明治政府のたてたスローガン
富国強兵・・・国の軍事力を強化して、勢いを増すこと。
殖産興業・・・国の産業を盛んにすること。

@国の基礎作りをしていた時期のひきだし
1871年 
廃藩置県・・・中央集権国家の土台を築いた。
富岡製糸場 (殖産興業)
岩倉使節団(岩倉遣欧使節)・・・初めて条約改正交渉に臨んだものの失敗。

1872年 
新橋・横浜間に鉄道開通(殖産興業)

1873年
地租改正 
徴兵令(富国強兵)

欧化政策で失敗したもの
鹿鳴館

A国会開設に至るいきさつの引きだし
1873年 征韓論争
→西郷隆盛はその後西南戦争へ。
→板垣退助は藩閥政治を批判し民撰議院設立建白書を提出した。自由民権運動が全国で起こった。
1881年 国会開設の勅諭(詔)・・・憲法調査で伊藤博文らをヨーロッパに派遣。
1889年 大日本帝国憲法の発布
1890年 第一回帝国議会

B日清戦争前後の流れのの引きだし
1876年 日朝修好条規・・・日本としては初の日本優位の不平等条約。
1894年 甲午農民戦争→日清戦争へ
1895年 下関条約・・・多額の賠償金の他、台湾、遼東半島などを日本に割譲。
       三国干渉・・・遼東半島の返還。
1901年 官営八幡製鉄所・・・下関条約で得た賠償金を使って設立(殖産興業)。

C日露戦争前後の流れの引きだし
1895年 三国干渉・・・ロシアなど三カ国が下関条約に横やりを入れた。
1902年 日英同盟・・・(背景)日本としてはロシアと戦争するときに備えて後ろ盾が欲しかった。 英国としてはロシアの南下政策を警戒していた。
1904年 日露戦争
1905年 ポーツマス条約・・・(背景)ロシアでは国内で革命の機運が高まっていて、日本とこれ以上戦争をしている余裕がなかった。日本もまたこれ以上戦争を続ける国力がなかった。
内容とその後のいきさつ
(1)賠償金が取れなかった→これを期待していた国民が激怒し、日比谷焼打ち事件が発生。
(2)ロシアが日本の朝鮮半島における優越権を認めた→日本は韓国には統監府を設置・・・初代統監は伊藤博文。結果として韓国人の恨みを買い、後に伊藤は暗殺された。
1910年 韓国併合・・・韓国を植民地化した。

明治時代に成し遂げたこと→不平等条約改正に成功
1894年 治外法権の撤廃・・・陸奥宗光が成し遂げた。
1911年 関税自主権の回復・・・小村寿太郎が成し遂げた。


明治時代 問題
不平等条約の問題点
(      )(領事裁判権)・・・外国人が日本で犯罪を犯したとしても、日本の法律で裁かれない権利。(      )をする必要があった。
(      )・・・自分の国の関税を自由に決めることのできる権利。(      )をする必要があった。

明治政府のたてたスローガン
(      )・・・国の軍事力を強化して、勢いを増すこと。
(      )・・・国の産業を盛んにすること。

@国の基礎作りの時期
1871年 
(      )
(      )(殖産興業)
(      )・・・条約改正交渉に臨んだものの失敗。
1872年
(      )間に鉄道開通(殖産興業)
1873年
(      )
(      )(富国強兵)
欧化政策で失敗したもの
(      )

A国会開設の引きだし
1873年 (      )論争
 →(      )はその後(      )へ。
 →(      )は藩閥政治を批判し(      )を提出した。これをきっかけに(      )が全国でおこった。
1881年 (      )・・・憲法調査で(      )らをヨーロッパに派遣。
1889年 (      )の発布
1890年 (      )

B日清戦争の引きだし
1876年 (      )・・・日本としては初の日本優位の不平等条約。
1894年 (      )→日清戦争へ
1895年 (      )・・・多額の賠償金の他、台湾、遼東半島などを日本に割譲
       (      )・・・上記の条約で獲得した遼東半島を返還させられた。
1901年 (      )・・・下関条約で得た賠償金を使って設立(殖産興業)。

C日露戦争の引きだし
1895年 (      )・・・ロシアなど三カ国が下関条約に横やりを入れた。
1902年 (      )・・・(背景)日本としてはロシアと戦争するときに備えて後ろ盾が欲しかった。 英国としてはロシアの南下政策を警戒していた。
1904年 (      )
1905年 (      )・・・(背景)ロシアでは国内で革命の機運が高まっていて、日本とこれ以上戦争をしている余裕がなかった。日本もまたこれ以上戦争を続ける国力がなかった。
条約の内容とその後のいきさつ
(1)賠償金が取れなかった→これを期待していた国民が激怒し(      )事件が発生。
(2)ロシアが日本の朝鮮半島における優越権を認めた→日本は韓国に(      )を設置した。初代統監は(      )。結果として韓国人の恨みを買い、後に伊藤は暗殺された。
1910年 (      )・・・韓国を植民地化した。

明治時代に成し遂げたこと→不平等条約改正に成功した
1894年 治外法権の撤廃・・・(      )が成し遂げた。
1911年 関税自主権の回復・・・(      )が成し遂げた。



 
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